【番外編】私が習った「憲法」

もう何十年も前の話であるが、私が学生の頃に習った「憲法」とは、単に国家を組織する実定法の頂点に立つものではなく、政府の権力行使を国民の側から縛り、人間の不可侵の権利や尊厳を保護するための政府と国民との間の根源的な契約である。それは以下のような特徴をもっている。
第一に、憲法と法律の機能的・構造的差異である。大正デモクラシーの論客であった吉野作造が印象的な言葉で指摘したように、法律が「時の政府が国民に発する命令の束」であるのに対し、憲法は「国民が政府に向かって発する命令」である。したがって、憲法は常に法律に優先し、政府の権限を制約する性質を持つ。憲法の原則とは、その定義からして多数決による決定や、一時的な政治的施行可能性を超越した問題なのである。
第二に、西洋史および政治哲学における憲法(法)の位置づけである。ハンナ・アレントによれば、古代ギリシアの都市国家における法とは、政治的活動の「結果」ではなく、人びとの活動が行われる公的空間をあらかじめ確保・保護するための「城壁」のような構築物であった。つまり、法がフィクションであっても、リアルな物理的・空間的な壁として機能していたのである。こうした古代の理解を超え、近代においては、立法行為こそが政治的活動力であるという観念が成立した(その最大の表現はカントの政治哲学)。カントや、それに続く近代の政治哲学者たちは、正義と権利の原理を、歴史的・経験的な事実からではなく、平等の初期状況における「仮想上の社会契約」から導出した。すなわち憲法とは、国民の総意をもって立法がなされる義務を基礎づける「理性の概念」として捉えられた。
第三に、こうした近代立憲主義の理念は、歴史的な文書において明確に宣言されてきた。アメリカ合衆国憲法(1787年)は「自由のもたらす恵沢を確保する目的」をもって制定され、フランス人権宣言(1789年)には「譲りわたすことのできない神聖な自然的権利」と書かれた。また、第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国基本法(1949年)は、「人間の尊厳は不可侵である」とし、これを敬い保護することがすべての国家権力の義務であると定めた。これらは、憲法がいかなる権力や多数派によっても侵してはならない普遍的な規範(正義や人権)をその核心としていることを示している。
第四に、日本の近代における憲法受容の特殊性とその展開についてである。明治維新後、日本は西洋列強に対抗すべく立憲体制の導入を急いだが、そこには独自の変容が見られた。明治憲法の起草にあたり伊藤博文は、西洋において人心を統合する「国家の機軸」となっているキリスト教の機能的等価物として「天皇(皇室)」を意図的に選択する体制を構築した。これを受け、日本で最初の憲法学者である穂積八束は、明治憲法の制定を新たな体制の宣言ではなく、日本古来の「立君独裁制」という不文憲法が「立憲君主制」の成文憲法へと改正されたものとして法的に正当化しようとした。
第五に、しかしこのような国家主義的な憲法観に対し、大正デモクラシー期には前述の吉野作造らのように政治の主体を国民に置く民本主義の思潮が台頭した。敗戦を経て制定された日本国憲法は、しばしば「押しつけ」と批判されるが、ポツダム宣言における「民主主義的傾向の復活強化」という要請は、かつて日本に存在した大正デモクラシーなどの素地を復活させることを意味していた。さらに、憲法第9条に見られる戦争放棄の理念は、1928年のパリ不戦条約に遡るものであり、カント的な永遠平和の理念に基づく「歴史の実験」の一環として位置づけることができるのである。
このように、憲法とは、歴史的・文化的な制約を受けつつも、究極的には国家という巨大な力から個人の自由と尊厳を守り、為政者の暴走を縛るための国民による至高の命令であり、根源的な規範なのである。そのようなものを無視して、単に国の理想を書いたものが憲法なのではない。これが、私が学生の頃に習った「憲法」である。(了)
すでに登録済みの方は こちら