【番外編】国家に対する敬愛の念を持たない者を処罰できるのか―国旗損壊罪法案―

1.はじめに
日本国に対する敬愛の念をもつことは国民として当然であるのに、国の象徴である日章旗や国章を侮辱する者を処罰する規定がないのはおかしいとして、最近、日本の国旗や国章に対する損壊罪を設けよという法案が国会に提出された(下記)。
しかし、国家に対する敬愛の念の欠如といった内心の態度を理由に個人を罰することは、近代刑法が厳格に維持してきた基本原則に抵触するおそれのある極めて重大な問題である。
結論を先に述べれば、現代の自由主義刑法体系の下においては、このような内心の態度をもって個人の刑事責任を問うことは許されないのである。
【参政党の法案】
刑法の⼀部を改正する法律(案)
刑法(明治40年法律第45号)の⼀部を次のように改正する。
⽬次中「第4章 国交に関する罪(第90条-第94条)」を
「第4章 国交に関する罪(第90条-第4章の2 ⽇本国国章損壊の罪(第94条)94条の2) 」に改める。
第2編第4章の次に次の⼀章を加える。
第4章の2 ⽇本国国章損壊の罪
第94条の2 ⽇本国に対して侮辱を加える⽬的で、⽇本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、⼜は汚損した者は、2年以下の拘禁刑⼜は20万円以下の罰⾦に処する。(太字は筆者)
附 則
この法律は、公布の⽇から起算して1⽉を経過した⽇から施⾏する。
理 由
⽇本国に対して侮辱を加える⽬的で、⽇本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、⼜は汚損する⾏為についての処罰規定を整備する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
2.刑法の基本原理と内心の不処罰
2-1 行為主義の原則と内心の自由の保障
刑罰は、外部に現れた具体的な行為(客観的な外部的行為)に対して科される。これは行為主義と呼ばれ、確実に判断できて評価されるものを刑罰の対象とするという意味で、現代刑法の基礎をなしている重要な原則である。
この原則によれば、個人の思想や心情といった内面的な事実は、具体的な法益侵害やその危険を伴う行為として外部に現れない限り処罰の対象とはならない。法益とは、生命や身体、自由、財産、また通貨や文書の信用性、裁判の公平性や公務の執行など、具体的にわれわれの生活を支えているものである。そのような具体的な生活利益を守ることが、刑法の任務なのである。この原則は、「思想は税関を通過する」といった法格言で伝統的に説明されてきた。
「国家に対する敬愛の念を持たない」という個人の内面は、個人の信念や思想の問題に留まり、これを処罰することは行為の外部化を要求する行為主義の原則に真っ向から反する。
2-2 刑法の謙抑性と法益保護の原則
刑罰は国家が人びとに科すもっとも厳しい制裁、基本的には苦痛であるから、刑法は処罰の対象を可能な限り限定し、国家刑罰権の行使を抑制すべきである。
これは謙抑性の原則と呼ばれ、国民の自由を保護する刑法の自由保障機能に深く根ざしている。刑罰は法益を保護するための緩やかな手段では守り切れない場合に限って、その補充的な最後の手段として導入されるのである(刑法は「伝家の宝刀」だといわれる)。
そもそも「敬愛の念」は、道徳や倫理に関わる内面的な問題であり、これを刑罰をもって強制しようとする考えは、刑法を「国民の倫理の保護者」とするパターナリスティックな国家観に基づく。
しかし刑法は、個人に礼儀正しい立ち居振る舞いを教えるために存在するのではなく、市民の具体的な生活利益を違法行為から守るために存在するのである。
3.刑法に規定されている内心の事情
3-1 目的犯という犯罪
確かに刑法典の中には、行為の客観的要素に加えて、行為者に内心の事情である特定の「目的」があったことを要求するものがある(目的犯)。ただしこれは、処罰範囲の限定や、特定の法益侵害の危険性を高めるために設けられているのであって、単なる内心の心情を罰するためではない。いくつかの例を挙げて説明する。
■ 財産犯における不法領得の意思(刑法第235条以下)
窃盗罪や横領罪などにおいては、一般に不法領得の意思という主観的な要素が必要とされる。その内容は、権利者を排除して、他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従い不当に利用または処分する意思(排除意思と利用意思)のことである。
窃盗罪は他人の物に対する侵害である。しかし、他人の物の侵害という点では、物を破壊する器物損壊の方が決定的であるのに、その法定刑(最高3年の拘禁刑)は窃盗罪(最高10年の拘禁刑)に比べてはるかに低い。これは窃盗罪が他人の物の侵害という要素に留まらず、背後でさらに国の所有権制度そのもののへ侵害も含んでいるからである。
他人の物を奪って不当に利欲を追求するという点こそが、窃盗罪の本質なのである。スリが他人の金を盗むつもりで他人の財布を自分のポケットに入れた瞬間に窃盗罪が完成する(窃盗既遂)のは、そのためである。スリは、その金をまだ使っていないので窃盗未遂だと抗弁することはできない。
つまり、「不法領得の意思」という主観的な事情は、不当な利欲という動機が単純に刑の重さを根拠づけているのではなく、他人の物を奪って被害者に現実的な被害を与えただけでなく、さらに財産制度の根幹である所有権制度をも侵害しているのである(生命という個人的法益の侵害である殺人罪も、さらに生命に対する国家や社会の利益も侵害している)。
■ 逃走援助罪における目的(刑法第100条)
逃走援助罪は、「法令により拘禁された者を逃走させる目的」を要件とする目的犯である。この目的は、逃走という特定の客観的結果を導く行為を処罰するための要件であり、国による拘禁は認めないといったような行為の動機や信念、心情を処罰するものではない。
■ 虚偽告訴罪における目的(刑法第172条)
虚偽告訴罪は、「人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的」を要件とする目的犯である。この目的も、虚偽の申告という行為を、刑事司法作用の円滑な運用を妨げ、被申告者の利益侵害の危険に晒すものとして処罰するために必要な要素であり、単なる司法(国家)への忠誠を問うものではない。
■ 偽造罪における目的(刑法第148条以下)
通貨偽造罪や文書偽造罪などの偽造罪は、偽造という行為が「行使の目的」をもって行われることが要件である。単ににせ物を作ることが「偽造」なのではない(通貨に関しては行使の目的のない場合が、特別法で軽く処罰されている)。行使の目的があれば、実際ににせ物が流通に置かれて、通貨や文書といった社会を支える制度への信頼を揺るがす危険性が高いので、偽造罪は「使うつもりでの偽造」を処罰しているのである。
3-2 外国国章損壊罪の特殊性
このように、これらの目的犯の構造からすれば、刑法が内心の要素を要求する場合であっても、それが具体的行為と密接に結びつき、その行為の不法な側面や当罰性を高めるための限定的な役割を果たすものとして位置づけているのである。「目的」が行為に新たな意味を付与しているといってもよい。
ところが、同じように「目的」を要件としている外国国章損壊罪では、この「目的」のもつ構造的な意味がこれらの目的犯とは異なるのである。
■ 外国国章損壊罪における目的(刑法第92条)
刑法は「侮辱の目的」で行う、外国の国旗や国章の損壊、汚損などを処罰している。これは、外国の国旗等を破ったり、汚したりする行為が、当該国との国交や交渉事などに悪影響を与えうるという意味で処罰されているのである(処罰も親告罪としてその国の意思に委ねられている)。
重要なのは外国の国旗を破ったり、汚したりする行為一般が処罰されるのではなく、外国に対する侮辱行為と判断されるような国旗等の損壊行為が処罰されるのである。つまりその国旗等は、その国の権威と尊厳を顕現し表彰するものでなければならない。一般には、在外公館等の外国の公的施設に掲揚され、設置されているものが損壊の対象となる。それ以外の一般私人が所有する国旗等の場合は含まれない。
また、そのような状況下で行われる外国国旗等の損壊が、「外国に対する侮辱」と判断されるのであって、「侮辱の目的」があることで初めてそのような行為が可罰的となるわけではない。
例えば、AがB国の大使館に掲げられている国旗を故意に燃やしたとする。その場合、その行為そのものがB国に対する侮辱行為なのであって、Aがそのときに実際に「侮辱する目的」があったのかどうかは罪の成立に影響しない。
またB国の国旗が自己の所有物である場合には、本罪は成立しない。なぜなら、その国旗は、B国の権威や尊厳を顕彰し表彰するものではないからである。
つまり本罪では、侮辱するという心情が、行為の客観面(外国に対する侮辱行為)に新たな法益侵害性を追加するとして処罰されているのではない。一定の状況下における客観的な侮辱行為そのものが国交や友好な関係を悪化させるおそれがあるとして処罰されているのである。損壊行為から「外国への侮辱の目的」が推認されて、それが処罰されるのではない。
4.参政党の法案について
4-1 日本国国章損壊罪創設の理由
参政党は、日本国国章損壊罪創設の法案を提出する理由として次のようなものを挙げている。
第一に、参政党は、外国国章損壊罪が存在するのに、自国の国章に対する損壊行為を直接罰する罪がない現状は「不均衡」だと捉え、「自国国旗・国章の保護の必要性」を主張する。
これは、外国旗を保護する規定があるにもかかわらず、自国旗の損壊行為を処罰する規定がないのは、国家間の均衡の観点から不整合であるという相互主義からの主張だと解される。
第二に、国家の尊厳を保護する必要性である。国旗や国章は国家の象徴であり、これを侮辱目的で損壊する行為は国家の尊厳や国民の敬意を侵害するため、刑法で保護されるべきであるとする。
第三は、器物損壊罪との区別である。現行法では、他人の国旗・国章を損壊した場合、器物損壊罪(刑法第261条)に該当しうるが、これは他人の所有物を保護するものであり、「国家の尊厳・威信」の保護は含まれていない。また、自己所有の国旗を侮辱目的で損壊した場合などには、自己の財産の自由な処分であるから現行法で処罰することはできない。そのため国旗損壊それ自体を罰する規定が必要であるとされる。
4-2 国家的法益に対する罪とすることは無理
しかし、法案には次のような点で無理がある。
第一に、外国国章損壊罪の立法趣旨が自国旗の保護とは根本的に異なるため、これを根拠とすることには大きな無理がある。
参政党の説明によると、日本国国章損壊罪創設の目的は、「国家の尊厳・威信」、つまり「国家の名誉」の保護であるとされるが、外国国章損壊罪の保護法益は、主に「国家の対外的地位」や「国際的な儀礼・友好関係」の維持にある。外国への侮辱行為が外交問題に発展するのを防ぐ外交上の配慮のための規定と解されている。
さらに、外国国章損壊罪は外国政府の請求がなければ公訴提起ができない親告罪であり、外交上の必要性に特化した極めて特殊な犯罪類型である。これを国旗損壊罪創設の根拠とすることはあまりにも表面的な理解である。立法目的が全く異なるため、外国国章損壊罪の存在をそのまま自国旗保護の根拠とすることには論理的な飛躍がある。
第二に、国家に対する敬愛の情の欠如は、そこから出た損壊や汚損という損壊行為に新たな違法性を追加するものではない。これは外国国章損壊罪と同じである。
また法案は、外国国章損壊罪と同様に、公然性を要件としていない。これは、非公然となされるすべての日章旗損壊も補足する趣旨ではなく、一定の状況下で「日本国に対する侮辱」と判断されるような国旗等の損壊行為を処罰する趣旨だと解される。具体的には、官公庁や公的施設などで日本国の権威や尊厳などを表彰する目的で掲揚されている日章旗や国章を破壊する行為が、日本国に対する侮辱行為と判断されるのであろう。
したがって、その日章旗が自己所有にかかる場合は、処罰されないし、さらに極右政党の選挙運動の際に「×」と書かれた日章旗を掲げて抗議するような行為も本罪には該当しない。また、さまざまなイベントなどで掲げられる万国旗のようなものも対象ではない。よく議論されるが、「日の丸弁当」や「お子様ランチの日の丸の旗」なども、当然ながら対象にはなりえない。日本国の尊厳を顕彰するものではないからである。
参政党の説明によると、日章旗の損壊は「日本国の名誉」を傷つけているという。「国家の名誉」とは何かについて、それ以上の説明はない。名誉毀損罪の場合は、「名誉」とは人や法人の社会的な評価だと理解されているが、国家に「社会的評価」は観念できない。外国国章損壊の場合は、国交や友好な関係が保護法益だとされるが、日章旗の損壊によって、日本国と国民のどのような関係が悪化するというのであろうか。そこで問題になっているのは、端的にそのような行為を見聞きした者の「不快感」である。そしてその「不快感」とは、公然性が要件とされていないので、日章旗損壊行為を直接目撃した人の不快感ではなく、そのような行為が行われたということに対するもっと一般的で抽象的な「不快感」である(「嫌悪感」と言い換えることもできる)。
上記のような一定の状況下における日章旗損壊という行為から「日本国に対する敬愛の情を欠く」という内心の事情の存在が推認され、それに対して上のような意味での「不快感」を覚える人びとの心情を保護しようとすることが、法案の目的だと解さざるをえない。問題は、その場合の「国旗に対する敬愛の情」はあまりにも抽象的で漠然としており、保護法益として適当ではないし、それを国家の存立に対する重大な罪(国家的法益に対する犯罪)として位置づけることとも矛盾するのではないかということなのである。
要するに、国旗等が自己の所有物であれば条文案に該当せず、適法行為を違法とするだけの法益侵害も生じておらず(自分が稼いだ札束を「国家を侮辱する目的」で燃やしても適法であり、そこに通貨制度を危うくする可能性はない)、他人所有の日章旗であれば器物損壊罪が想定する以上の法益侵害は生じていないのである(なお、器物損壊罪の方が法定刑は重い)。
5.まとめ
外国国章損壊罪を引き合いに出す議論は、「なぜ外国旗は守れて自国旗は守れないのか」という形式的な不均衡を突く点では一見合理性があるように見えるが、両罪の根本的な立法趣旨(保護法益)が外交上の配慮と国内的な国家の名誉という点で異なること、そして「日本国に対する侮辱」という感情的なものが、具体的な法益侵害を示すものではないことを看過している。
なお、憲法との議論においても、国旗の損壊が政治的なメッセージを伴う「表現行為」の一環である場合もあり、これを一律に処罰することは憲法第21条が保障する表現の自由を不当に制限する可能性があるし、刑罰を背景にした国旗への「敬意の強制」につながる規定は、思想・良心の自由(憲法第19条)の観点からも問題があることは無視できない。
以上、現代刑法が保障する個人の自由と人権保障の観点から、「国家に対する敬愛の念を持たない者」という内面的な態度を処罰することは許されない。刑罰の基礎は、外部的な行為による法益侵害またはその危険の発生という客観的要素であり、それに伴う主観的な故意・過失や目的といった限定された内心の要素によって処罰の範囲が画されている。
主観的な要素が行為の法益侵害性を高める場合は、それが犯罪の要素として取り込まれるが、そのような事情がないのに「敬愛の念の欠如」といった曖昧な内心を犯罪の要素として取り込み、処罰の対象とすることは、刑法の謙抑性の原則、行為主義、そして罪刑法定主義といった近代刑法の根幹に位置する基本原理を破壊し、国家刑罰権の恣意的な行使を招く危険性がある。自由主義社会においては、国民の内心の自由に立ち入ることの制限は、国家権力に対する最大の制約だと認識されるべきである。(了)
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