カンナビノール(CBN)の規制に合理的な根拠はあるか(厚労省へのパブリックコメント)
主旨
カンナビノール(CBN)の規制に関する合理的な根拠を考察するにあたっては、当該物質の科学的知見の現状、及び薬物規制全般における正当化の原則に立ち戻ることが肝要である。
*なお、意見に1000字以内という制約があったため、実際に提出したのは、本稿の短縮版である。
1.CBNの科学的地位と規制枠組みの現状
CBNは、植物由来のカンナビノイドであり、現在、その医薬品、化粧品、その他の用途に関する科学的研究の対象とされている物質である。カンナビノイドを含む製品に対する規制枠組みは未だ議論の俎上にあり、政策立案者は、低THC製品の法的地位を確立し、いかなる規制枠組みを適用すべきかを決定するという具体的な課題に直面している。
ある物質が医薬品に該当するかどうかの判断は公衆衛生上の大きな問題であり、製造・流通の規制が不十分ならば、使用者に重大な健康被害をもたらす可能性が存在する。CBNについても、その健康効果や安全性に関するエビデンスが整備されるにつれて、機能性食品としての地位を確保する可能性などが論じられている他のカンナビノイドと同様に、その毒性や潜在的な乱用可能性について科学的かつ医学的な検証を経ることが、規制の合理性を担保する第一歩であると認識されるべきである。
2.規制の根拠としての公衆衛生と危害の防止
薬物政策における規制の第一目標は、健康を促進し、害を最小限に抑えることである。 CBNを含む精神作用物質の規制を正当化する根拠は、究極的には、その物質が公衆衛生に及ぼす現実的で具体的な危害に求められなければならない。
しかしながら、薬物に関する議論の多くは、往々にして誤った情報や、感情的な反応に依拠しているのが現状である。実際、大麻に関する科学的な知見は、大麻自体が犯罪性や不道徳な行動、ハードドラッグへの移行を必然化する生理学的な依存性を引き起こす証拠はないとされている。この事実は、CBN規制の合理性を評価する上でも、感情論ではなく科学的証拠に基づく判断の重要性を強く示唆するものである。
もしCBNの使用が、アルコールやタバコなど、合法的で、広く社会的に容認されている物質と比較して、許容できないほど高い健康リスクや社会的な危害を伴うことが証明されたならば、公衆衛生の観点から規制を課す合理性は認められるであろう。しかし、規制は個人の自由を著しく制限する強制的な政策であるため、その措置を支持する根拠は、批判的な検証に耐え得るほど強固なものでなければならない。
3.刑罰化の正当性と道徳的根拠の欠如
特にCBNの使用や所持に対して刑罰を科す、すなわち犯罪化を検討する場合、その合理的な根拠はより厳しく問われるべきである。刑罰は国家が個人に科すことのできる最も重大な剥奪(害悪)であり、「合理的で納得できる理由がない限り、誰も罰せられるべきでない」という正義の原則に基づき、厳格な正当化が要求されるからである。
薬物規制の擁護論者は、しばしば違法薬物の娯楽的使用が不道徳であるという道徳的根拠に訴える。しかし、この道徳的な非難が、合法的な薬物(アルコール、カフェイン、タバコなど)と違法な薬物との使用を区別する正当な理由となり得るか否かについては疑問である。レクリエーション目的の薬物使用者が、殺人や強盗などの行為者とは異なり、誰かの権利を侵害したり、直接的で深刻な危害を他者に与えるものではないという事実も、規制の根拠を確立する上での本質的な難点である。
したがって、CBNの規制、特に刑罰を伴う措置は、単に当該物質の使用が「不道徳である」という根拠のない偏見や、他の者が模倣するかもしれないという理由によって正当化されるものではない。その合理性は、CBNの使用が第三者の権利を侵害するか、あるいは社会全体に看過し得ない実質的な危害をもたらすかという規範的な問いに、明確な肯定的回答が与えられるか否かに依存するのである。
結論
CBNを規制する合理的な根拠の探求は、現時点では、その物質固有の科学的・医学的評価が途上にあるという現状の制約を受ける。真に合理的な規制とは、感情的・政治的な圧力に屈することなく、CBNがもたらす具体的かつ定量化可能な危害と、公衆衛生上の利益とのバランスに基づき、その適用範囲(使用か販売か、医療用か嗜好用か)を明確に線引きできるものでなければならない。とりわけ刑罰を伴う規制に関しては、その不当性が、薬物使用に伴う危害の不確実な予測を遥かに凌駕する不公正を生み出すことに留意すべきである。(了)
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