日本の薬物厳罰主義の源流―アヘン戦争と帝国の二重基準―

アヘン戦争で清が半植民地化した歴史的教訓から、明治政府はアヘンを国家安全保障上の脅威と捉え、当初から死刑も辞さない厳罰主義を採用した。しかし、国内ではアヘンを「絶対悪」として厳禁しながら、台湾・満州などの植民地では財源化するという二重基準を行使。この亡国トラウマに基づく厳罰思想は現代の薬物法制に今も息づいている。
園田寿 2026.02.24
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満洲事変で瀋陽に入る日本軍(wikipediaより)

満洲事変で瀋陽に入る日本軍(wikipediaより)

目次

  • 1.アヘンに対する明治政府の恐怖

  • 2.恐怖の足跡(厳罰主義の軌跡)

  • 3.アヘンの国家的管理の強化
    3-1. アヘン専売制度
    3-2. 薬律の制定と目的
    3-3. 医薬分業と「薬品取扱規則」への発展

  • 4.帝国の二重基準

  • 5.現代へ引き継がれたもの

  • 余滴:大阪はかつてアヘンの一大産地だった

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