【番外編】自民党の「国旗損壊罪」

国家の威信や尊厳というものは、国民の自由で自然な感情によって醸し出されて、維持されるべきものであり、背中にナイフを突きつけて尊敬しろといわれても、それは無理である。その者の感情を満足させるだけである。国旗損壊行為を罰し、さらにはその映像送信まで取り締まろうとする試みは、国民の間に国旗への尊敬の念を起こさせるどころか、むしろ逆効果でしかない。
園田寿 2026.05.14
誰でも

はじめに

報道によれば、自民党が、日本国旗の「損壊、除去、汚損」のみならず、その状況を撮影した映像の送信や、損壊された国旗の陳列をも処罰対象とする方向で調整していることが明らかとなった。罰則については現行の刑法を参考に定める方向で検討されているという。このような改正案は、国旗というモノに対する物理的な破壊行為を取り締まるという次元を超えて、政治的抗議や思想の表現行為そのものを国家の刑罰権によって広範に規制しようとするものであり、民主主義の根幹に関わる極めて危うい方向性を示している。

保護法益の問題

国旗損壊罪新設のそもそもの根拠として、「外国国章損壊罪(刑法第92条)との不均衡」という点が主張されている。外国国章損壊罪では、その保護法益(法律が守ろうとする利益)は「国家の対外的安全や国際関係」である。他国の国旗を侮辱することで国際紛争の火種となり、外交問題に発展する危険性を防ぐために設けられている。これに対して、日本国民が自国内で日本国旗を損壊したとしても、それが他国との外交問題や国際緊張に発展することは論理的にあり得ない。つまり、自国の国旗損壊と外国の国旗損壊とはまったく話の異なる行為であり、そこに共通の法益が存在しないにもかかわらず、自国の国旗損壊を外国の国旗と同列に扱って処罰すべきだとする議論は、刑法の根幹をなす保護法益論を無視した無謀な主張である。

刑法の謙抑性原理

そもそも刑罰は国家権力の最も強力な行使であり、「最後の手段」(伝家の宝刀)として必要最小限に留められなければならない。これは「刑法の謙抑性」の原則と呼ばれるもので、刑法学者でこれに反対する者はいない。

国旗損壊行為に伴って具体的な不都合が生じた場合、日本にはすでに十分な罰則が存在するのである。他人の所有する国旗を燃やしたり破いたりすれば器物損壊罪や窃盗罪が成立し、公道上で火を放てば火炎びん処罰法や道路交通法、消防法などの適用が可能である。また、デモ等で公的機関や他者の業務を妨害すれば、威力業務妨害罪で処罰することができる。特定の選挙運動の妨害に及んだ場合は公職選挙法違反となる。このように既存の法律で実害には十分に対処可能であるにもかかわらず、わざわざ「国旗の象徴的価値を損なった」という行為自体を(あいまいな根拠から)重罰化することには、そもそも立法事実(法律を制定する正当な根拠)が全く見当たらない。

表現の自由との問題

最も深刻な問題として、本案は憲法第21条が保障する「表現の自由」と決定的に衝突する。国旗を損壊する行為は、政府の政策や国家体制に対する強烈な批判や抗議の意思を示す「象徴的表現」として、民主主義社会において手厚く保護されるべき政治的表現の中核をなす。特に自民党の案が「映像の送信」や「陳列」までも処罰対象に含めようとしている点は看過できない。これは、物理的行為を超えて、「思想やメッセージを他者に伝達し、拡散する行為」そのものを直接的に罰することを意味する。このような広範な規制は、国民の間に権力批判への萎縮効果をもたらし、風刺や芸術的表現までもが自己検閲の対象となる危険性を孕んでいる。

象徴的な表現と表現の自由の境界については、1989年の米国最高裁判所による「テキサス州対ジョンソン裁判」での判断が参考になる。この事件では、1984年の共和党全国大会に際し、時のレーガン大統領の政策に抗議するために集まったデモ参加者が市庁舎前で国旗に火を放ち、国旗冒涜を禁ずる州法で有罪となったのであった。しかし米国最高裁は、国旗を燃やす行為は合衆国憲法修正第1条の「言論の自由」として保障される象徴的言論であると判断し、無罪判決を下した。多数意見において最高裁は、言論の自由を「根本原理」と位置づけ、政府が「観念の表現について、単に社会が当該観念を不快または好ましくないとの理由で」禁止することはできないという原則を明確に示したのである。社会の多数派が「けしからん」と感情的に反発する表現であっても、そのことだけを理由に国家が刑罰を用いて抑圧してはならないというのが、民主主義の鉄則なのである。国旗を損壊する映像を流して、具体的に何が損なわれるというのだろうか。

国旗損壊罪の規定がある他の民主主義国家ではどうか

例えばイタリアでは、国旗侮辱罪の起訴件数に対して有罪率は3割未満にとどまる。移民政策に反対するチュニジア人移民が国旗にバツ印を書いてSNSに投稿した事件では、政治的メッセージ性があり公共秩序を乱さないとして裁判所は無罪を言い渡した。他方、極右集会で国旗にナチスのマークを重ねるなどヘイトスピーチ目的で行われた行為に対しては罰金刑が科されている。ドイツでも、移民デモ参加者による国旗改変は反イスラエル政策批判の象徴的表現として無罪とされたが、極右集会でのナチス賛美目的の汚損には重い罰金が科された。フランスの反マクロン政権デモ(イエローベスト運動)での国旗破壊は政策批判として減軽され、スペインのカタルーニャ独立運動における国旗焼却も政治表現として無罪となっている。オランダの反イスラムデモでの国旗改変や、ポーランドのLGBTQ権利デモでの虹色の追加なども、少数者の権利抗議や政策批判として無罪と判断された。

このように欧州諸国では、国旗損壊罪が存在していても、それが政治的抗議である場合は「表現の自由」として最大限保護し、特定集団への差別を扇動するヘイトスピーチ目的の場合にのみ罰則を適用するという、文脈に応じた厳密な線引きが行われている。自民党案のように「侮辱目的」という極めて曖昧な基準で、抗議とヘイトの区別なく映像送信や陳列までも網羅的に処罰対象とすることは明らかに「過度な制限」であり、表現の自由の不当な侵害に他ならない。

日本の歴史的背景

日本弁護士連合会が2012年の会長声明で指摘している通り、日本の「日の丸」は戦前・戦中において国家主義高揚の手段として用いられ、アジア諸国をはじめとする国内外に戦争の悲惨な記憶を想起させるという特殊な歴史的経緯を持つ。敗戦後に国旗を変更したドイツやイタリアとは異なり、日本では同一の旗が使用され続けているため、国旗への敬意のあり方には国民の間に多様で複雑な考えが存在する。

このため、1999年に国旗・国歌法が制定された際にも、政府は国会答弁において、国旗に対する敬意の表明を法的に義務付けることは適当ではないと明言してきた。国家の威信や尊厳というものは、国民の自由で自然な感情によって醸し出されて、維持されるべきものであり、背中にナイフを突きつけて尊敬しろといわれても、それは無理である。その者の感情を満足させるだけである。国旗損壊行為を罰し、さらにはその映像送信まで取り締まろうとする試みは、国民の間に国旗への尊敬の念を起こさせるどころか、むしろ逆効果でしかない。

まとめ

自民党による国旗損壊及びその映像送信・陳列を処罰対象とする案は、感情的な「国旗への愛着」を利用して、国家権力が市民の政治的表現を封じ込めるためのツールを作り出そうとすることである。表現の内容が社会の多数派にとって不快であったとしても、他者の具体的な権利や財産を侵害しない限り、国家は表現行為に刑罰で介入すべきではない。国旗に対する真の敬意は、罰則による強制から生まれるものではなく、国家が国民の多様な思想や自由を保障し、国民が自らの意思で社会に誇りを持てるような環境を構築することによってのみ醸成されるものである。(了)

【参考】

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