薬物と規制についての短いはなし

はじめに
社会は、つねに何らかの精神作用物質と共にあった。
その具体的なあり方、規制の内容は、社会の発展や科学的知見、道徳的・宗教的観点、公衆衛生上の懸念、さらには経済的・政治的利益といったさまざまな要因によって変化し続けてきた。
1. 薬物の定義と認識の流動性
実は、「薬物」についての明確な定義は存在しない。何を「薬物」と認識するかは流動的である。
「薬物」というと、ヘロインやコカイン、覚醒剤のような強力な依存性物質を思い浮かべるだろうが、砂糖や塩、チョコレートやコーヒーといった日常的に摂取している物質も、すべて私たちの身体のみならず気分にも影響を与える。そして、依存性を持つ可能性も秘めている。摂取する量によっては命に関わるような効果ももっている。
これは、食品と薬物、毒物というカテゴリーじたいが明確に区別できないという事実を示しており、薬物政策の複雑さの根本的な原因となっている。
特定の物質が「薬物」とみなされるかどうかは、多くの場合、科学的根拠だけでなく、社会がその物質に対して抱く強い感情的反応にも左右されているのである。
2. 薬物使用の普遍性と文化的統合
人類の歴史において、精神作用のある物質の使用は普遍的かつ遍在的である。多くの文化や社会において、その使用が宗教や呪術の儀式に組み込まれてきた。
たとえば初期イスラム教では、宗教的儀式にコーヒーを使うことが奨励されたが、アルコールは厳禁されていた。17世紀ヨーロッパでは、ローマ・カトリック教会がコーヒーを邪悪な薬物として拒否したが、ワインは伝統的な聖餐式に不可欠なものであった。ネイティブアメリカンは、宗教儀式にペヨーテを使用し、アメリカン・インディアンの飲酒に反対する運動を盛り上げた。コカの栽培に適した土壌と気候を発見したインカ帝国では、コカの消費に王室の認可が必要であり、快楽は権力の手段や特権と結びついていた。南太平洋の多くの島々では、カヴァ(鎮静作用のあるハーブの一種)が儀式や社交の場で用いられてきた。
これらは、薬物に対する認識が、文化や宗教によって大きく異なることを示している。
精神作用のある物質は単なる化学物質ではなく、社会的(民族的)な意味を持つ存在なのである。
このことをいくつかの物質について、少し詳しく見てみたい。
3. 薬物に対する認識と規制の変化
時代とともに、特定の薬物に対する社会の認識と規制は劇的に変化してきた。
(1) アルコールとタバコ
紀元前5000年から3000年の間にアンデス地方で初めて栽培されたタバコは、その不思議な効能から、宗教行事や戦争前の儀式用として重宝された。常習的な娯楽的使用は別の問題だったが、強い依存性のために厳しい懲罰も効き目がなかった。そのうち多くの国は、タバコの独占化と課税によって、その収益力を利用するようになった。
アルコールも適量であれば有益とされながら、過剰摂取は「酩酊」を引き起こし、社会問題となった。しかし、アメリカ1920年代の禁酒法は、単純な規制が必ずしも規制の目的を達成せず、腐敗や犯罪組織を富ませる可能性を示唆している。
現代でも、これらは合法的な企業を通じて広く流通し、多くの健康被害を引き起こし、死者すら出しているにもかかわらず、その合法性が問われにくいというパラドックスも抱えている。
(2) アヘンとその派生物(ヘロイン、モルヒネ)
アヘンは古くから咳止め薬として利用され、19世紀後半までアヘン依存症は明確な疾患とは見なされていなかった。
第一次世界大戦後のモルヒネ依存の増加は、厳格な治療的使用を生み出すきっかけとなった。ヘロインは「魔法の薬」と認識される一方で、注射による健康リスクや身体的・経済的コストが高いとされた。
(3) コカインと覚醒剤
20世紀初頭に爆発的に広がったコカインやヘロインは、現在では処方箋薬の非医療用使用の増加にその傾向が引き継がれている。
コカインや覚醒剤は良くも悪しくも「力強さ」の象徴とされ、覚醒効果はとくに戦時に重宝されたが、過剰摂取による負の側面も問題になっている。
(4) 大麻(マリファナ)
大麻は、ヨーロッパでは広く民間療法として用いられており、世界中の多くの地域でも同様だった。これはディオスコリデスの『薬物誌』が17世紀まで医学の中心的なテキストであったことによるものである。
アメリカ大陸には、ポルトガル人とスペイン人が繊維を取るための産業用としての大麻(ヘンプ)を持ち込み、嗜好用の大麻は16世紀前半にブラジルの砂糖プランテーションの労働力だったアフリカの黒人奴隷によって広がったといわれている。
これが北上し、パナマのクナ・インディアンは部族の集会でパイプを使って大麻を吸い、メキシコのコラ・インディアンは神聖な儀式で大麻を使用した。それが民間人の習慣として広がった。
アフリカでは伝統的に薬用や儀式で大麻は使用されてきたが、20世紀になってフランス植民地当局による禁止や、アメリカにおける「精神病を引き起こす」というプロパガンダによってそれぞれ社会問題化した。
とくにアメリカでは、マリファナ喫煙の習慣のあったメキシコ移民に対するヘイトがあったが、アメリカで本格的な大麻規制が始まったのは1937年の大麻税法からである。
この動きは1970年代の「薬物戦争(ニクソン大統領の宣戦布告)で懲罰的規制を強化したいったが、その動きに否定的な見解も広がり、最近では多くの州で娯楽用大麻が合法化されている。
4. 規制と禁止の理由
社会が薬物を禁止または規制する主な理由は、薬物が個人や社会にさまざまな害をもたらすという考えに基づいている。
(1) 社会秩序と生産性
産業革命は、労働者の生産性を重視する社会へと移行させ、「酔った労働者」が社会秩序を乱し、生産性を低下させるという懸念が規制の動機となった(18世紀イギリスにおけるジン規制)。
(2) 人種的偏見
初期のアメリカの薬物関連法は、露骨な人種差別を背景に制定され、「依存症患者」という概念が人種差別的ステレオタイプと結びついていた。
たとえば、アヘンは中国人、大麻はメキシコ系移民、コカインはアフリカ系黒人というように。「薬物戦争」の根底にも、このような人種差別的な動機が指摘されている。
(3) 経済的・政治的利益
アヘン戦争が示すように、一部の国は薬物貿易を通じて経済的利益を追求した。これが結果的に東アジアにおけるアヘン禍を広げた。
また最近では、アメリカのオキシコンチン(オピオイド系の半合成麻薬)のように、強力なロビー活動によって合法的な規制体制に組み込まれ、結果的に大きな社会問題となったケースもある。
(4) 未成年者保護
青少年を薬物から守るという目的は、薬物使用の犯罪化を正当化する強力な理由と見なされてきた。確かに、成長期の脳は薬物の影響を受けやすいし、悪い習慣は人生の早い時期に身についてしまう。
(5) 犯罪の防止
薬物禁止法が他の犯罪、特に財産犯や暴力犯の防止に役立つという議論もあるが、経験的に裏付けられていないことが多い。
5. 禁止政策の意図せざる結果
厳格な禁止政策は、禁止の意図とは裏腹に多くの負の側面を生み出した。
(1) 闇市場と暴力
薬物の違法化は、闇市場を形成し、薬物取引と暴力、無秩序を常態化する(禁止の鉄則)。
取り締まりの強化は、むしろ違法薬物の潜在的利益率を高め、闇取引の利益を増やし、犯罪の発生を増加させるという皮肉な結果を招くことがある。
(2) 品質の低下と健康リスク
闇市場の商品は品質管理がなされず、誤ったラベル表示やより効果を強めるために不純物の混入により、使用者の健康リスクを高める。
アメリカ禁酒法の時代にも、ビールやワインの代わりに、よりアルコール濃度の高いウィスキーやブランデーが好まれた。アルコール度数を高めるために、工業用アルコールを混ぜるということもあった。
(3) スティグマと治療の障壁
薬物問題を抱える人々は、強いスティグマ(汚名、烙印)に苦しめられ、社会からの排除や差別の対象となる。
「乱用」という言葉じたい、社会の支配的な規範からの逸脱を意味する。このスティグマは、問題の認識や治療へのアクセスを妨げ、薬物使用者が救いを求めることをためらわせ、回復と社会復帰を困難にする。
(4) 法執行の偏り
薬物取締法の適用は、小規模な売人や使用者、特にマイノリティに対して偏る傾向も指摘されている。
6. 現代における変化と代替案
近年、薬物政策は厳格な禁止から、公衆衛生と人権の観点を取り入れた多様なアプローチへと変化している。
(1) ハームリダクション
これは、薬物使用の有害な影響を減らすことに焦点を当てたアプローチである。薬物使用を完全にやめさせるのではなく、飲酒運転撲滅キャンペーンのように行動変容を促し、害を最小限に抑えることを目指す。
注射針交換プログラム(HIV、B型・C型肝炎予防)やナロキソン(オピオイド拮抗薬の一つ)の配布などがその例で、スティグマを減らし、治療へのアクセスを改善する効果が期待されている。
(2) 非犯罪化と合法化
非犯罪化は、娯楽目的の薬物使用者を罰しないことで、逮捕や起訴の恐怖を取り除き、使用者の生活を改善させることが目的である。
交通反則金のような前科のつかない処分は、非刑罰化と呼ばれる。
非犯罪化は、闇市場を排除し、薬物の品質管理を可能にし、税収をもたらすという利点がある。合法化による薬物使用の増加が懸念されるが、アルコールやタバコなどの合法薬物の消費は最近減少しており、合法化によって総体的な害が減少する可能性も指摘されている。
(3) 依存症の認識の進化
依存症はかつて道徳的な「罪」や「性格的欠陥」と見なされていたが、最近では「脳の病気」や「発達障害」として捉えられるようになっている。
この認識の変化は、依存症に対するより科学的かつ人道的な治療と支援のアプローチへとつながっている。遺伝的要因や環境的要因、パーソナリティ障害や感情調節の困難さとの関連性も認識されている。
まとめ
薬物に対する社会の認識と規制の変遷は、単一の要因ではなく、科学的知見、社会経済的圧力、文化的価値観、そして政治的選択といった複雑な要素の相互作用によって形成されてきた。
アヘン戦争に象徴される経済的利益追求の時代から、現代の公衆衛生と人権を重視するハームリダクションのアプローチへと、薬物問題への対応は絶えず進化を続けている。
これは、世界が薬物問題に対してより現実的で、かつ人道的な解決策を模索している証拠だと言えるだろう。
「医療目的」と「娯楽目的」の薬物使用を区別する基準があいまいとならざるをえないという点は、薬物使用に対する懲罰的措置の正当性に疑問を投げかけている。
最後に、薬物問題を第一義的に刑事司法の次元で考える立場には、とくに次の検証が必要であることを指摘しておきたい。
刑罰は強力な手段であり、しかも社会統制の最後の手段である。
その適用には正当な理由が必要であることはいうまでもないが、重要なことは、薬物使用を犯罪化する側がその政策を正当化する明確な根拠を示さなければならないことである。
単に薬物使用を非犯罪化した場合に薬物使用が増加するというあいまいな予測では不十分であって、いわゆる立法事実と立法の必要性について、薬物使用犯罪化論の支持者は説得的に説明する義務を負っている。(了)
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*戦争と薬物の関係についても興味深い歴史があるが、それについて次の拙稿を参照のこと。
園田寿「戦争と薬物」(「精神科治療学」第38巻増刊号[2023年10月])35頁以下
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