大大阪時代を再構築した「100年前のカジノ」を
Casino interior, Las Vegas, c.1950s (photographer unknown)
はじめに
現代の統合型リゾート(IR)は、巨大資本による「大衆娯楽の工場」と化し、グローバルな画一化という課題に直面している 。これに対し、100年前、東京を凌ぐ経済・文化の黄金期を迎えていた「大大阪(だいおおさか)時代」の記憶をIRの土台に据えることは、IRに歴史性と地域固有の価値を付与する極めて有効な戦略となるだけでなく、現代のデジタル化されたカジノが孕む依存症へのリスクも最大限抑えることができるであろう。
本稿は、当時の「水都大阪」の社交文化を現代に換骨奪胎した、単なる賭博場ではない「文化再興のエンジン」としてのIR構想である。
空間設計と建築美学:権威と没入の演出
100年前の欧米のカジノは、社交と芸術が交差する「排他的なサロン」であった 。この空気感を再現するため、建築様式には大阪市中央公会堂や中之島図書館等に見られるネオ・ルネサンス様式や、1925年パリ万博を起点とするアール・デコ様式を採用すべきである 。
また、ホテルの客室においては、当時の豪商の私邸や旧大阪ホテル(1890[明治23]年に中之島に創業された当時日本でも最先の近代ホテル)の意匠を継承し、スクラッチタイルやマホガニー材といった重厚な素材、船場の繊維産業を象徴するシルクやベルベットのテキスタイルを用いる 。
エントランスには「水の回廊」を巡らせ、プライベートボートで乗り付ける演出を施すことで、日常からの完全な隔離と、かつての「東洋のベニス」としてのアイデンティティを宿泊客に与える 。
ゲーミングと社交の変容:脱デジタル化の試み
脱デジタル化こそがギャンブル依存症対策の一つとして、最も重要である。現代のIRが失った「身体性」と「ドラマ性」を取り戻すため、ゲーミングフロアからは一切のLEDサイネージや電子音を排除し、レトロなジャズの生演奏など、「非デジタルな環境」を構築する 。
・社交の儀式: バカラを主軸に据え、プレイヤー同士が対面し、執事のようなディーラーが介在することで、賭博を「運命を賭ける社交の儀式」へと昇華させる 。
・アナログへの回帰: スロットマシンを設置するにしても、デジタル式ではなく、手回しの機械式とする。また、チップには陶器や木材を使用し、勝敗の記録はデジタルではなく「大帳面」へのカリグラフィー(手書き)で行う 。これらは「運命論的な空気」を再現し、データ分析による勝率管理が支配する現代カジノへの批判的な差異化として機能する 。
食文化とホスピタリティ:知性の交差点
飲食施設においては、当時の道頓堀や千日前で隆盛した「カフェー」を現代風の高級ラウンジとして再解釈する 。
・インテリジェンス・ホスピタリティ: 燕尾服や「モガ」の服装をしたスタッフは単なる給仕ではなく、当時の文学やジャズ、時事に通じた「会話のプロ」として振る舞う 。
・和洋折衷のガストロノミー: 「赤玉ポートワイン」や「船場風ライスカレー」、旧大阪ホテルで提供された「正統洋食」など、かつてのハイカラ文化を現代の技術で昇華させたメニューを提供し、五感を通じて時代の空気感を補完する 。
社会的意義と倫理的課題
本構想の核心は、IRを「外来の賭博場」ではなく「地域の歴史的資源を経済価値へ転換する装置」と位置づける点にある 。収益の一部を大阪における近代建築の保存や伝統芸能の継承へ自動配分し、文化振興のパトロンであったかつてのカジノの側面を復元する 。
一方で、現代のギャンブルが抱える、脳の生理学的脆弱性を突いた搾取の構造に対する倫理的配慮は不可欠である 。100年前の「選ばれた大人」という排他性は、現代においては入場制限等のパターナリズム(保護主義)と交差するが、依存症を「自己責任」に帰すのではなく、適切な支援体制と産業構造への監視を前提とした「品格ある社交場」の構築が求められる 。
おわりに
「大大阪時代」の再構築は、単なるノスタルジーではなく、グローバル資本による文化の浸食を防ぐための文化経済学的な戦略である 。歴史性に裏打ちされた「100年前のカジノ」は、アナログへと回帰することによって現代社会における依存症へのリスクを最大限抑え、忘却されつつある身体的な社交と地域の誇りを再生させる場となり得るだろう。(了)
すでに登録済みの方は こちら