ジャマイカにおける大麻規制の沿革―階級支配・国際政治・文化弾圧の複合史
とりわけ重要なのは、初期の規制が医学的・公衆衛生的根拠を欠いていたこと、そして政策判断が階級支配と植民地統治の論理によって動機づけられていたことである。また、ラスタファリ運動との関係は、文化弾圧と反体制運動の相互作用を示す事例である。さらに、アメリカの禁圧政策と国際条約体制は、ジャマイカの政策選択を長く拘束し続け、非犯罪化の動きを繰り返し阻んだのであった。
これらの抑圧的構造がようやく揺らぐのは、2015年の危険薬物改正法である。同法は、ガンジャの非刑罰化に加え、医療・科学研究・ラスタファリ宗教儀礼の三領域での合法的使用を認め、ジャマイカ史上初めて文化的・宗教的価値を公的に承認した。本稿は、この変化を歴史的背景の中に位置付け、ジャマイカの「哀しい歴史」とその転換点を明らかにする。
2 ガンジャの定着:インド人移民から黒人社会へ
ジャマイカにおけるガンジャ文化の起源は、1838年の奴隷制度廃止後に導入されたインド人移民に求められる。彼らが嗜(たしな)んでいたマリファナは、労働現場や農村社会で共有され、黒人の大多数に瞬く間に広がった。19世紀末まで、ガンジャ喫煙が重大な社会問題として記録された例はなく、むしろ茶やコーヒーと同程度に日常文化に完全に溶け込んでいた。
ガンジャは、農作業後の憩い、痛みの緩和、精神安定のための民間療法として定着していたことが指摘されている。しかし、この文化的受容は、のちに植民地政府と支配階級から「危険な下層階級の習慣」として敵視され、規制の正当化根拠として利用されることとなる。
3 1913年ガンジャ法の制定:偏見と政治的統制
(1) 万国阿片条約の国内実施
1913年に制定された「ガンジャ法」は、前年の万国阿片条約の批准に伴う制度整備を目的とする、と政府は説明した。しかし、条約は主としてアヘンとモルヒネを規制対象としており、ガンジャを禁止する義務までは課していなかった。したがって、この法は実質的に国内事情に基づく政治的立法だったと言える。
(2) モラル・パニックと支配階級の統制
同法の背後には、福音主義教会と有力紙の扇動があった。1912年、教会は突如として「ガンジャ喫煙は不道徳であり、狂気と犯罪を引き起こす」と主張し、有力紙デイリー・グリーナーもこれに同調して「先住黒人に対する危機」と警告した。
この論調が影響したのは、ガンジャが黒人・労働者階級の象徴的な文化と結びついていたためである。支配階級は、下層階級の集団蜂起を慢性的に恐れており、ガンジャを「潜在的反乱者の象徴」として捉えた。政府はこの偏見を利用し、1913年法で栽培・所持・使用の刑罰化に踏み切ったのである。
罰則は最大100ポンドの罰金(現在の価値に直すと250万~300万円程度と推測される)または12カ月の重労働というきわめて苛烈なもので、植民地的統治の道具として設計されていたことは明らかである。
4 重罰化への道:1924年の危険薬物法と1941年改正
(1) 1924年改正:より強力な統制装置へ
1913年法は1924年に危険薬物法として再編され、罰則はさらに強化された。マリファナが医学的に危険という証拠は依然として皆無だった。むしろ、教会・メディア・行政が作り上げたイメージによって、ガンジャは「道徳的堕落の象徴」として扱われ続けた。
(2) 世界恐慌・労働争議と植民地政府の恐怖
1930年代、世界恐慌により砂糖産業が壊滅的打撃を受け、労働者の暴動が多発した。ガンジャを常用していたのは主として黒人労働者である。政府は、社会不安の矛先を「危険薬物のせい」に置き換えることで、労働者階級の行動を管理しようとした。
(3) アメリカの反マリファナキャンペーンの輸入
アメリカでは1930年代、ハリー・アンスリンガー率いる連邦麻薬局が激烈な反マリファナキャンペーンを展開し、「マリファナは狂気と殺人を引き起こす」と世論を扇動した。1937年のマリワナ税法以降、アメリカはジャマイカに対しても規制強化を強く働きかけた。
こうして1941年、ジャマイカ政府はアメリカ型の強制的最低刑制度を導入し、初犯でも執行猶予なしの拘禁刑を科す重罰主義へ転換した。これは、**政治的危機+国際的圧力+階級偏見**が交差した瞬間であった。
5 ラスタファリ運動と文化弾圧:宗教と政治の衝突
(1) ラスタファリ運動の成立とガンジャの神聖性
1930年代に生まれたラスタファリ運動は、植民地支配からの黒人解放を掲げる宗教的・政治的運動である。
契機となったのは、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の戴冠で、マーカス・ガーベイの「アフリカの王が戴冠するとき、解放の時が来る」という預言と重ねられた。ラスタファリは、セラシエを救世主(ジャー=Jah)の顕現とみなし、植民地主義・白人中心主義を「バビロン」と批判し、アフリカ回帰(Zion)と黒人の誇りの回復を求めた。貧困と差別の深刻なジャマイカ社会で、被抑圧層の精神的支柱となった。
彼らはガンジャを「知恵の草」「生命の木」と呼び、瞑想・祈祷・共同体儀礼に欠かせない聖なるハーブと位置づけた。
(2) 国家による文化的抑圧
ガンジャの厳罰化は、結果的にラスタファリ文化そのものを標的とした。刑罰の強化は宗教的実践の抑圧をも意味し、警察による無差別的な逮捕・暴力・家屋焼き払い事件(いわゆる「バッドマン掃討作戦」)が頻発した。「バッドマン掃討作戦(Badman raids / Badman suppression operations)」とは、1950~1970年代のジャマイカ警察が、ラスタファリ系のコミュニティや黒人下層階級の地域(ゲットー)に対して行った暴力的な一斉取り締まり作戦の俗称である。
(3) 1960年の反乱事件と1961年重罰化
1960年にはガンジャを神聖視する宗教団体が反乱を起こし、政府と英国軍が介入して鎮圧した(Claudius Henry事件)。事件はメディアによって「ガンジャによる狂気」と断定され、恐怖が再生産された。
独立直前の1961年、政府は再度危険薬物法を強化し、ガンジャ取締の権限を拡大した。これは、反植民地運動の高まりのなかで、宗教的反体制勢力への牽制として機能した。
しかしその後もコーラルガーデン地域で、ガンジャ栽培に関わるラスタファリアンの一団と警察との衝突を契機として、いわゆるコーラルガーデン事件(Bad Friday)が発生した(1963年)。事件は当時「ラスタによる反乱」「蜂起」として報じられ、政府は島中で数百人規模のラスタを検挙・拷問した。この時期のガンジャ規制強化は、宗教的マイノリティに対する政治的・文化的弾圧と不可分であった。
(4) ラスタファリ運動とレゲエ
レゲエは1960年代末にスカやロックステディを基礎として形成されたジャマイカ独自の大衆音楽で、特徴的なワン・ドロップのリズムと重厚なベースラインを持つ。歌詞はしばしば社会不正、貧困、暴力、政治腐敗といった現実を描き、宗教的・社会的メッセージを音楽で可視化した。レゲエの国際的普及は1970年代に本格化し、ボブ・マーリー(Bob Marley)、ピーター・トッシュ(Peter Tosh)らが世界的スターとなることで、レゲエは単なる音楽ジャンルを超えた文化運動へ発展した。
ラスタファリ運動とレゲエは互いに密接に影響し合った。ラスタ思想は多くのレゲエ・アーティストの精神的基盤となり、レゲエはその思想を世界に伝える最強の媒介となった。ボブ・マーリーの 「Exodus」「Redemption Song」「Get Up, Stand Up」は、黒人解放・反抑圧・平和・精神的自由というラスタの理念を普遍的な言葉に翻訳し、全世界へ拡散する作用をもたらした。
また、ラスタはガンジャを宗教的儀礼で用い、精神的洞察(Reasoning)を深める手段とみなすが、これもレゲエの歌詞で象徴化され、国家による抑圧や警察の弾圧と対立する「抵抗の文化」として受容された。
このように、ラスタファリはレゲエに深い思想的基盤を提供し、レゲエはラスタを世界的な文化現象へと押し上げた。両者は、植民地主義の遺制への批判と、黒人の尊厳回復という共通目的を共有しつつ、宗教と音楽を横断する独自の解放運動として歴史に刻まれている。
6 独立後の停滞―非犯罪化提言の抑圧
1970年代、アメリカ国立薬物乱用研究所(NIDA)がスポンサーとなった調査は、ガンジャ常用者に精神医学的・身体的毒性を確認できないと結論づけた。
その調査とは、Rubin & Comitas, Ganja in Jamaica: A Medical Anthropological Study of Chronic Marijuana Use, 1975(「ジャマイカのガンジャ――慢性大麻使用の医療人類学的研究」)である。
当時、アメリカは「大麻は精神を破壊し、暴力や犯罪を引き起こす」という前提のもと、薬物戦争(War on Drugs) を開始しようとしていた。しかし、科学的根拠が乏しかったため、「大量・慢性的に大麻を吸っている社会での影響を実地で確かめよう」という意図でこの研究が企画された。その際、ガンジャの歴史が長い、使用が一般化し大量使用者が多い、使用が文化に根付いているなどの理由で ジャマイカが選ばれた。
調査の結果は、アメリカ政府の当初の目論見とは真逆のもので、その前提を根底から否定するものだった。
すなわち、(1)慢性使用者の身体に重大な健康被害は確認されず、(2)精神・認知機能に著しい低下は見られず、(3)子どもの認知発達にも重大な影響は確認されなかった。また、(4)労働生産性にも問題なしと結論づけられ、「大麻=怠惰」という俗説は支持されなかった。最終的に調査は、(5)ガンジャは「社会薬(social drug)」であると結論づけられたのであった。
この調査は、後の文化人類学・薬物社会学に大きな影響を与えた。
しかし、当時のアメリカ政府はこの研究を完全に無視した。それは、当時のアメリカの政治方針(「薬物戦争」)と完全に矛盾したからである。そのため、NIDA は研究公開を妨害こそしなかったが、一切政策に反映させなかった。このためこの研究調査は、学界では「もっとも無視された重要研究(the most ignored cannabis study)」と言われている。その理由は、(1)大麻使用=犯罪・堕落 という西洋中心の偏見を否定し、大麻を文化的・社会的にとらえる研究の出発点となり、(2)厳罰主義への学術的反証となり、(3)ジャマイカの政策転換(2015年)の科学的根拠となったからである。
この研究は、1977年と2001年のジャマイカ政府委員会(Ganja Commission)で引用され、どちらも少量所持の非犯罪化を政府に勧告した。しかし、アメリカの反発と国際条約の制約で政策化されず、実施は 2015年の非犯罪化まで待たれることになった。
その背景には、1961年麻薬単一条約の遵守義務と、アメリカからの外交的・経済的圧力があった。
ガンジャは長らくジャマイカの主要な外貨獲得源であったが、公式には「違法薬物」であるため、経済政策上の建前と実際の経済が矛盾する状況が続いた。政府は国際的批判を恐れて改革を進められず、結果として黒人労働者階級だけが刑罰の対象として苦しむ構造が固定化された。
7 2015年の危険薬物改正法:歴史的転換点
2013年以降、アメリカの複数の州が娯楽用大麻を合法化し、アメリカ司法省が州政策に干渉しない姿勢を表明すると、ジャマイカでも議論が沸騰した。国際政治環境の劇的な変化が、ついに政策転換の契機となった。2015年危険薬物法改正の要点は、次のとおりである。
(1) 非刑罰化の導入
2015年の改正法は以下を定めた。
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2オンス(約56g)までの所持は非刑罰化
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罰金(違反切符)で対応し、逮捕しない
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少量栽培に対する制裁も緩和
(2) 三つの合法使用領域
さらに、次の目的での所持・使用は「正当化される」と明文化された。
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医療・治療目的(登録医師の処方等)
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科学研究目的
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ラスタファリ信仰に基づく宗教儀礼
とりわけ第三番目は、長年弾圧されてきた文化・宗教的実践が初めて公的に承認されたことを意味し、象徴的な変革であった。
(3) 国際条約との緊張
宗教的使用を合法化することは、麻薬単一条約の「医療・科学目的に限る」という原則に反する可能性が指摘されている。ジャマイカ政府は国連総会で、「伝統的・宗教的使用に限る特殊例」であり、大量流通とは無関係であると説明し、国際社会の理解を求めた。
8 結論:ジャマイカの哀しい歴史と未完の課題
ジャマイカのガンジャ規制史は、薬物の危険性という科学的議論よりも、階級支配、植民地行政、宗教的偏見、国際政治が政策を規定し、ガンジャ問題を重大な犯罪問題として刑罰権が多用されてきた歴史である。その特徴は以下のように要約できる。
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初期の規制(1913年・1924年)は医学的根拠を欠き、モラル・パニックと統治目的を背景に制定された。
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1941年・1961年の重罰化はアメリカの反マリファナ政策の強い影響を受けた結果であり、政治的不安の中で階級弾圧の手段として利用された。
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ラスタファリ文化は長く犯罪視され、宗教的自由は侵害された。
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独立後も国際条約とアメリカの圧力により改革が阻害された。
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2015年改正法はようやく文化的多様性を承認する転換点となったが、国際条約との整合性や他の民間文化集団の扱いなど課題は残る。
ジャマイカの例は、薬物規制がしばしば科学よりも政治・階級・国際秩序によって形成され、犯罪問題とされるという普遍的な教訓を示している。同時に、2015年以降の改革は、文化的権利の回復と薬物政策の脱植民地化に向けた希望を象徴していると言えるのである。(了)
〈エピローグ〉
2015年の改正危険薬物法が施行された後、ジャマイカはその新たな大麻政策を世界に訴えるために、国連に代表団を送った。2016年の国連総会において、ジャマイカ政府の代表は、ジャマイカの改革された大麻政策とアプローチの焦点は、伝統的な使用のために大麻を栽培する先住民族を含む、健全な社会と持続可能な人間開発であることを強調して、次のように訴えた。
私たちは、1つのサイズがすべてに適合するわけではないことを認識しています。ジャマイカでは、大麻は伝統的に民間療法として、また私たちの土着信仰であるラスタファリの実践者たちによる宗教行事に使用されてきました。このような特定の用途は、違法な取引のための大規模栽培とは関係がありません。(国連総会 [UNGASS]、2016年)
【注】
本稿のさらに詳しい内容は、以下の拙稿を参照していただければと思います。
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